分離

人と話すということはいつも早送りの時間で、
内側の時間と外側の時間が少しずれていく。

読むぐらいの遅さ、書くぐらいの遅さ、
内側と他の歯車が嚙み合っていく速度に
チューニングを合わせることに。

いつも戻る。
戻れる。

他人の出来事に触れて他所を変えることが正義になっている人に
それでも私たちは変わらないですよという結論をとっくに出して
そんなことを口実に取り巻くことをたっぷりと話した。
それぞれの物語はそれぞれの中で存在している。

関係という約束に上塗りをした。
あることをないことにするぐらいの無音を聞いた。

随分昔にもらったカバーを捨てた。
もう手に負えなかった。手入れをするほどいてほしいと思えなかった。

一方で人からもらったロールペンケースのカビ取りをした。
その人という存在も消えて、物だけが残っている。

ただ消化するだけになったマンガを早々に手放して
職場の倉庫に眠るあてどもない装置も手放した。
辿りつくところに辿りつけばいいし、一端だけの加担で済んだ。

明日も引き続き、思惑とは別に生きることができる。

石が置かれる

朝起きたら、「藤倉さんは書いてください」とメールを頂いた。
こういう強い言葉は発散をさせないように腹の底に置いている。

余らせていたものを、回す手続きを少し。
所有量と消費すること、購入することについてはわりとよく考えている。
恐らく在庫管理が好きなんだけれど、
本当は在庫管理なんか必要ないぐらいがいいと分かってることの矛盾。

映画はそこそこに見られていて
ここ最近は「少女ムシェット」や
「バルタザールどこへ行く」
「5時から7時までのクレオ」
「キンキーブーツ」
を見た。

何かを通過する振り幅を思うだけで人生は面白いのだと思う。

ブレッソンは掴めなくて、特に「バルタザール…」がそうなのだけど
経過がなく、結果だけがある映画だと思った。

受難を描いた作品になるらしいのだけれど、救いようがないとも思わなかった。
私がどうしても女なので女という素材の扱いに
石を投げるような問いかけであってほしいとは思ってしまう。

バルタザールとマリーは相思相愛ではなく一心同体なのだろうと思う。
バルタザールはマリーの心なのだろう。

ムシェットに関してはあのふてぶてしい顔をしたまま
スナップを利かせて泥を投げつけるシーンと
無理矢理歌わされた時の歌声の美しさ
男の手に回した手は反逆だろうと思う。

少女でなくなる反撃があったと思うので
あのまま死んだりはしないだろう。

「キンキーブーツ」は初見だったけれど展開の速さ
ともかくローラの強さだなと思う。
三浦春馬さんがローラをやったときのことを思う。
いなくなることに強さも弱さも関係ないのだとしたら恐ろしい。

 

あまり知らない町にいった

一泊二日で旅に出た。
行きたい場所を2か所だけ決めて、あとはその時で行動しようと思っていた。

いつか通り過ぎた場所が知らないもので観光ナイズされていたり
過去の試みがうっすらと寄り付かせている場所を抜けて
一つ目の目的のアイスを食べ、危うく車をぶつけそうになった。

見てなかったですよね

見えていませんでした

と凍てつかせたまま交わしたけれど
見えていなかった。

見ようとしないと見えないものだなと思ったし
それでもまだ本当にぶつけなかったことは幸運だったのだろう。
そういうことがいつしか幸運で済まされなくなるのだろう。

一人で移動する知らない町は、そんな始まりから入ったので
温泉ですらずっとぴりついていた。

選ばなかった言葉のことを考えてひとしきり書いた。
選ばなかった言葉の先にはここじゃない場所があったかもしれないけれど
それはどうしたって一人では辿りつけないものだったし、
一人で歩く気にならなかったのも本音だった。
確かにあったものは、いつだって確かじゃなくなり、
それぞれの都合で消えていくのだけど
それがいいことだと言い聞かせて
欠損も含めて抱きしめる。

しかないも
しかたないも
今は張り付いている。

自分が動くときの拠点が決まっているのでその通りに調べていたら
ずっと好きな人が同じ町に来ていた。

過去に見ていた
2倍の速度と10倍の温度で
目の前に立って、
少しだけ言葉を交わした。

会いたい人には会えてしまうことを思い出した。

写真を撮ることも手を取ることもしなかったけれど
必要なら私はしていたはずなので、
今はその時じゃなくて良かったんだろう。

 

「空気の日記」終わりました

昨年の4月1日からウェブマガジンSPINNERでリレー連載していた
「空気の日記」が今年の3月31日をもって終了しました。

当初から1年の連載を予定されていましたが、
「空気の日記」終了と同時にSPINNERも休刊となり
媒体の在り方に対しても考えることはありました。

私はと言えばこの連載にずっと救われていたと思います。
それぞれにコロナという時間と事情があったと思うのですが
正直それほど慮ることがないような環境や生活をしていても
制限も要求も期待もありました。

そんな中で作品を作る、発表できる機会がある
誰かが締め切りを設けてくれて、
誰かが読んでいてくれている。

それを自分一人ではいつもやらなくて
編集の役割も担っていた松田さんと
何よりも自分が住む土地に助けてもらいました。

私は無名の存在ですし、無名でいる気楽さがある中で
土地で空気を感じることをベースにしていました。

それだけでは出来ないこともありましたし、
日々を詩にすることは骨が折れるものでした。
それでいいのか、それでいいのか、ばかりです。

いてくれたことも、通り過ぎたことも
そうであって良かったと思います。
とても勝手ながら言いたいことを言うしか出来ませんし、
誰かの言いたいことも聞けているのか怪しいものです。

本音を言えば聞きたいと思います。
でも、人が言いたいことを聞くというのは、
それもまた稀有なことなのかもしれません。

色んな言葉がありました。
連載が終わってzoomでのミーティングもして
他の詩人の方型の作品を
また改めて読んで、それぞれの揺れと
守られているものをより感じます。
独立して連なることが出来て感謝します。

まだまだ蠢いているであろう空気を通り抜けつつ
最近は旅の計画を多く立てています。
行動と習慣はとても強く、
ましてや春なのですから
それに耐えられるわけがなかったというのを思い知りました。

最後の日記は私が書きました。
因果だなあと思います。

これからも、あれそれと読み返し
新しいものも書いていこうと思います。

https://spinner.fun/diary/

危険

家にある大量のジャムをご挨拶に送る手はずをし
母に包みの隙をつかれ、必要な程度は違うのだし
自分の基準が正しいと思うなよという話をした。

もちろん私だって正しくはなれない。
正解はないということには
胸を張れるぐらいにはなった。

日々に揺れる。
揺れていること自体に疲労する。
揺れているだけ優しいのだろうけれど
そんなに優しくありたいわけではない。
優しさが疎ましいとも思う。

減らすことばかりが安息で
最近は豆板醤を使い切った。

思う時は背中にあるのだと思う。
背中にない時と同じぐらいにしたいとも思うし
それにはやはり力が足りていない。

力とは何かというと、
やっぱり追うことなんだと思う。

出来ていると思うことが本当に危険だ。

 

生きているだけで恥なのだから

白銀の世界と言ったのは誰だったのだろう。
白く反射してきらめいている外は
絵のようで、白く染まる木をこんなにも見たことはなかった気がする。
危ないよと言われていても外を出てみたかったというのが正直なところで
結局すぐに退散したのだけど外を見られて良かったと思う。

雪は静かだ。
本当に静かなんだと教えてもらう。

生きているだけで恥は生まれるので
恥があるだけ生きているということなのかもしれない

人には迷惑をかける
迷惑をかけることが生きることなんだろうと思う

水道管がまた一つ凍った。
破裂はしないでほしい。

探してくださいと言われたことを思い出す。
恐らく探していればいいし、
手に入れたいと思うことなのだろう。

 

今年も始まりましたね

新年が開けたことも開ける前のこともここには書かないでいました。
昨年の大きなことと言えば「空気の日記」の連載が出来たことというか
やらなければいけないものをきちんと迎える環境を作ることが出来たことのような気がします。

何を言って何を言わないでいいのかが分からないことは多いのですが
それこそ唇の前に指を立てることをしています。

もういなくなった人の夢をよく見ていました。
かつて憎かったあの人を呪うような気持ちでいたこともあって
袖がかすめるような距離であっても言葉も交わさず
重たさだけが降っていたような時期を過ぎて

「人は佇むことが出来るのか」

もう呪うことも重たさを背負うこともやめてしまおうと思って
彼からその問いを聞きました。

それから一年も待たずしてあの人はいなくなってしまった。
過ごした時間は全く長くないけれど彼の疑問、佇むはよく残っている。

昨年は佇むものを見た。踊るということを。衰えるとは何だろう。
積み重なっているものは積み重なって
風は青い布を透かしていた。

今、一つ手伝いを受けて、一つ作品を繰り返し見ている。

一人の人間が生きて、目の前にいることの壮絶さを、そうだったと思い出している。
私たちはもっと脅かされるべきだと思う。

まとまった雪の日に使っていない水道管が一つ破裂して
お向かいの大工さんに行ったら30分で直してもらった。
遅かれ早かれだっただろうから、今日できっと良かった。

代替案

初めてオンラインで朗読をした。
録音ともラジオとも違う難しさがあるもので
現地の中に放り込まれるわけでもなければ
かといって、全く何も分からないわけではないので
想像力を働かせることも、
肌合いで感じることも
かなり限られるなと思った。

実はこの前、BTS ON:Eのコンサート配信を見たのけど
目の前に観客のいない大変さばかり思っていた。
それぞれにそれぞれだけれど、肌合いみたいなもので左右されるのは
Vが如実で、恐らくジミン、ジョングク辺りもそうなのだけれど
わりとそこがはっきり鼓舞する中、Vはそのムラも一つとして
彼の中で受け入れているようだった。

反してラップラインの骨と根は凄まじく、
特にRMの根っこはどこまでいっているのだろうか。
人前だろうがなかろうが、圧倒的に立てるあの感じは
常日頃どれだけ幅広く受け取り続けているのだろうと思う。
ラップラインはどちらかというと、
自分の楽曲のお披露目という感じも強いからかゆるぎなさがあった。
J-HOPEの鋭さは恐らくもっと鋭くなるのだろうな。

自分もやってみて、BTSはやっぱりとんでもないことをしたなあと思った。
でもやっぱり触れられない、そこにいないことが強くなる。

悪い癖でもないけれど恐らく今、私は短気で、
それは短絡的な言葉ばかりを吸って吐いてしすぎていて
何かの解決に必要なことは答えではなく
問いであることを思い出している。

もう少しそういう時間を過ごしたいと思っている。

異端なので

SPINNERの「空気の日記」が更新された。

10/6分を担当しています。

書いて表にでるということはこうやって浮き上がるのかと思っていて、
やっぱり書いたほうがいいし、晒した方がいいのだなと
改めて思った次第です。

どこで何をしても異端になり、
異端を馴染ませて暮らしているので
これからも異端になるのだろうなと思います。
異端でも生きていけるよというのを見ればいいと思います。

あと、手を動かすことの効能も思っていて
柚子胡椒用の唐辛子を刻んだところです。
もうすぐ柚子を削ります。

まだ柚子も柿も大量にあって締切りが一つあって
そんなことがあって良かったなと思います。

手を動かす、脚を使うことがなくなると濁りが増えて
おもちゃに手を出さないといけなくなったり
おもちゃにしてしまうものなのかなと思ったりします。

ひとまずは手を動かします。

本転がし

基本的に手放した先のことは考えないし、考えても仕方がないけれど、ちはやふる43冊を630円で売った一週間後に、同じ店で43冊まとめて1万円で売っているのを見るとなかなか感慨深い。

ネットで中古まとめ買いして44冊でも7500円ぐらいで売ってるので、結局誰もあの店であの値段では買わず、誰も買わないあの品物はただ場所をとって埃を積もらせていくという想像をする。

«剥がれた